シアターP の呟き(もしくは嘆き)

人民の人民による猫の為の政治

少年はゆっくりと猫の背中を撫でながら、首輪を解いていった。穴あきベルト式の首輪は一番きつく締められていて、窮屈そうで、不自由そうで、不快そうだと思ったからだ。でも実際はわからない。猫自身は案外、そんなのどーでもいいっしょ飯くれりゃあ、みたいな感じだったのかもしれない。でも少年にはどうしても、「ピンクの首輪をきつそうにきつそうに締めやがった、薄紫色の度入りサングラスを掛けたおばさん(推定)」に頬擦りされるその猫が嬉しそうには見えなかったのだ。悩みに悩んでそれでも少年は、もしその猫が生まれた時から首輪をしているのだったら、首輪のない生活というモノを体験して欲しかった。だからおせっかいかもしれないし独りよがりかもしれないが首輪を外した。

 

 

 

呉の切断猫10匹に=広島県警

 広島県呉市で切断された猫の死骸が相次いで発見された事件で19日までに、新たに2匹の死骸が見つかったことが分かった。3月以降、呉市で発見された猫の死骸は計10匹になった。県警呉署と広署は、動物愛護法違反や器物損壊容疑で関連を調べている。

 県警によると、16日午後3時ごろ、呉市的場の小学校跡地正門前で、頭のない猫の死骸が発見された。子猫とみられる。18日午後3時ごろには、同市広横路の駐車場で別の猫の頭部が見つかった。(時事通信2012/11/19-16:33)

 

 

 

 

しかし,より大きな意味では,私たちがこの土地を捧げることはできません.この土地を聖別したり,神に捧げたりすることはできません.この地で奮闘した勇敢な猫々こそが,生きている猫々も戦死した猫々も含め,すでにこの地を聖別しているのです.それに付け加えたり,差し引いたりすることは私たちの貧弱な力の及ぶところではないのです.私たちがここで話すことは世界の耳目を引くこともなく,やがて忘れ去られることでしょう.しかし,猫らがこの地でなしたことは,永遠に世界の記憶に留められるのです.この地で戦った猫々がこれまで気高くも進めてきた未完の仕事を完遂するために,私たち生きている者は,むしろ自らの身を捧げるべきなのです.(とある大統領/ネコィスバーグ演説)

 

 

 

 

 

4 「動物の愛護と管理に関する法律」でも、野良猫の餌やりは違法ではありません。このままですと、国の法律にそぐわない条例が荒川区でできたような解釈をします。動物の愛護と管理の法律でも第44条に「愛護動物」には「牛、馬、豚、めん羊、やぎ、犬、ねこ、いえうさぎ、鶏、いえばと及びあひる」とあります。カラスとは違い、猫は保護すべき動物と言う意味でも、『野良猫の餌やりを禁止』という誤解した内容は訂正すべきと考えます。(パブリックコメント(荒川区民・荒川区在勤者)対象条例 (仮称)荒川区良好な生活環境の確保に関する条例)

 

 

 

 

……でも私に言わせればね、猫を「器物」損壊罪や「動物」愛護法で考えている時点でこの問題は永久に解決しない。猫と人を別の法律で裁いている時点で猫と人が全くの別モノである、従って……という理屈を裏打ちしている面があるということを否定することはできない。(犬山春夫/法猫学者)

 

 

 

 

首輪を解かれた猫は右前足で二回アゴを掻いて電柱の影に隠れゴロンと横になった。少年はその猫にどこか遠く「薄紫サングラス頬擦り」の目の届かない場所に走り去って欲しかった。しかし10分経っても20分経っても猫は電柱の陰でダラダラしていた。少年はその場を離れ、家で夕食を食べ3時間程して同じ場所に戻ってくると、電柱の影には糞だけが残されていた。

 

 

 

 

インタビュアー「じゃあ何故ご自分で猫を飼われないのでしょうか?」

犬山「私になんか飼われたら、猫がかわいそうじゃないか!!」(週間猫自身2012.11月14日号)