シアターP の呟き(もしくは嘆き)

ロールン・ロール

「このロールケーキすごい美味しいよ」

 

 

と言われて食べたロールケーキが、大して美味しく感じなかったことがある。私は、多々、ある。これは何故か。

 

 

1.ロールケーキにおける美味しさのモノサシがAと私とで違った為

2.Aが何らかの理由で私に嘘を吐いた(感じた事の逆を言葉にした)為

 

 

1.の場合はAのモノサシだと90P(美味しさのポイント、/100)であったが、私のモノサシだと60Pであった。つまりAと私のモノサシは、私が1と刻むところをAは1.5と刻んでいくので、その誤差がロールケーキに対する反応の差である。-[aパターン]とする。

 

2.の場合はAが私に嘘をつくことで、何らかのメリットを享受しているのかもしれないが、それはA以外には永遠にわからない。

 

そして2.の問題はさらにここからである1と2を同時に満たす場合も考えられる。つまり[1かつ2]の場合である。

 

 

二者間でモノサシの刻み方も違うし、かつAが私に嘘を吐いている、という状況だ-[bパターン]。

ここでAにとって「真実」とは何かを定義しよう。

 

「真実」を「Aのロールケーキに対する感想」ということにする。

 

[aパターン]の場合、Aは「真実(すごい美味しい)」を感じて、それを私に伝えようとしている。しかし、私にその「真実」を否定され、二者間の合意

(もしくは事実)には至らなかった。

 

[bパターン]の場合も、Aは「真実」(「すごい美味しい」とは思わなかった=「不味い」と思った)を感じていたが、その「真実(不味い)」を伝えようとはしていない(=嘘を吐く=「すごい美味しい」と伝える )

 

では逆に「1ではないが2を満たす」という場合は存在するだろうか。

二者間でモノサシの刻み方は同じ(奇跡!!)だが、Aは私に嘘をついている(何故なの、A?)という状況だ。-[cパターン]

 

[cパターン]の場合、Aは「真実」(「すごい美味しい、不味い」)を感じているが、伝えようとしていない(嘘を吐く)。

 

従って私に伝えられる言葉は「すごい美味し」く感じた場合は、「不味い」(嘘を吐く)という言葉が発せられ[cパターン-1]、「不味」く感じた場合は、「すごい美味しい」という言葉が発せられる[cパターン-2]。

 

上記の例で発せられた言葉は「すごい美味しい」なので、[cパターン-2]が考えられる。

 

 

問題は、「このロールケーキすごく美味しいよ」と伝えられた私側からはAが[a][b][cパターン-2]のどのパターンなのか全く判らないことだ。

p>ではAが私に「真実(自分=Aが感じた事)を伝えよう(嘘を吐かない)」という意志がある場合、何が伝える(A同様の諸感覚を私に感じさせる)ことが出来るだろうか。

 

 

例1「このロールケーキすごい美味しいよ」-a

⇒これは美味しいのモノサシ(の刻み方)問題上殆ど無理。逆にモノサシが全く同じなら可能。例えばこの場合、「食の趣向のモノサシ」であるわけだが、それは自分の育ってきた環境や、昨日今日さっき、何を、どのくらい食べたか等多々ある変数の値が一致しなければならない。

 

つまり奇跡を起こさなければならない。

 

もし万が一、「食の感想(すごい美味しい)」が導き出す変数が仮に[生育環境による味の趣向]と[昨日何を食べたか]だけだと仮定すると

 

[生育環境による味の趣向]×[昨日何を食べたか]=「食の感想(すごい美味しい、まずい、普通、殺意)

 

ということになる。この場合「すごい美味しい」の値がAと私で等しくなるには、

 

[生育環境による味の趣向]と[昨日何を食べたか]の値が違っても、その乗が等しければ何かを伝えることが出来た、と言えなくもない。

(例:A:30×30=900、私:45×20=900従ってA=私)

 

しかし、解(言葉と建前)が等しければ式(過去と本音)は無視してもいいかというと疑問だ。同じ言葉でも「すごい美味しい(ここ三日間何にも食べてなかったからね!!)」と「すごい美味しい(死んだおばあちゃんがよく作ってくれた味だ…)」は同じだろうか。

もし同じ(何かを伝えられた!)とするなら、それは悪い意味でもなく、勘違いであろう

 

 

例2「このロールケーキはX店で買ったよ」-b

⇒これは「伝え」られる、の定義を上のように(伝える=A同様の諸感覚を私に感じさせる)してしまった為、Aと私の間に持っている情報の有無(X店の存在について)の発生が問題となる。

 

・私がX店(の存在を)を知っていた場合、私は、Aが本当にX店で買ってきたのか、若しくは他店で買って、何らかの理由でX店の包装に移し替えたのか、を確実に知る術はないのでAの言うことを事実として聞き入れるか、疑うという選択肢が二つになる。どちらにしろAの感じた真実と私のそれの解は違う可能性が高い(勿論勘違い的に一致する場合はある)。

A:(X店で実際に買ってくる×「買ったよ」と言う。)

私:本当にX店で買ったのだろうか? or X店で買ったのか…(私は行ってないけど)×「へぇ(本当かな? or そうなんだぁ…)」

 

・私がX店(の存在を)を知らなかった場合、Aと私との間に持っている情報の有無(X店の存在について)から、構成される「真実」(解)は違っている可能性が(知っている場合に比べてもさらに)高いと考えられる(勿論勘違い的に--以下省略)。

 

A:X店を知ってる(実際に買ってくる)×「買ったよ」

私:X店を知らない×「へぇ(X店って何だろ?)」

 

 

 

例3「ロールケーキがここに1つあるよ」-c

⇒これは「ロールケーキ」「ここ」「1つ」の単語の意味を共有出来ていれば可能 (Aと私はこの言葉から同じ諸感覚をもたらす「たしかにロールケーキがここに一つある」)である。つまり発言cから、「ロールケーキ」が「ここ」に「1つ」存在していることを両者が了解しあえれば「伝え」られたのである

 

しかし何故<例3>だけ割とすんなり「伝える」ことができたのか?

 

それは1つに、<例1>、<例2>と比べて<例3>は情報が内面化されたり(私は~だと思う)、共有されなかったり(A:知ってる 私:知らない)していないからである。

そして2つに「ロールケーキ」「ここ」「1つ」の言葉の誤差(個人間の言葉の定義の幅)がとても少ないと考えられるからである。

 

「ロールケーキ」・・・「ロール」してる「ケーキ」全般のこと

「ここ」・・・「あそこ」でも、「そこ」でもないとこ

「1つ」・・・「0と2の間の整数」つ

 

確かに「ロールケーキなのに一巻き弱しかしてないじゃないか」とか「中にフルーツ入ってるやつ食べてるとグシャグシャになんだよなぁ」とか「最近のスイスロールってクリーム少なすぎじゃね?」とか「ロールケーキ」の定義も、「ここからここまでが<ここ>」とか「いやここから2cm向こうも<ここ>」とか「そこは<ここ>じゃないだろ!!」など「ここ」の定義もあるかもしれないが、「すごく美味しい」に比べたら、誤差は少ない、と考えられる

 

<例1>、<例2>、<例3>よりAが私に「真実(Aが感じたこと)を伝える(私にA同様の諸感覚を感じさせる)」には奇跡(変数も解も一致)を起こすか、勘違い(解だけ一致)を生み出すか、誤差(解は僅かに違う、かもしれない)を許容するしかない。

 

 

では「ロールケーキ」は本当に「ある」のだろうか?

それは私がとあるファーストフード店でアルバイトしていた時のことであった。

 

 

その店舗は不思議なことに正社員がいなかった。それはアルバイトを15年以上続けているTさん(女性、当時30代前半)がいつからか、店を切り盛りし始めて、その店舗運営が正社員より優れていた為、本部による「ま・・・いっか」という判断の元、それが常態化した、ということなのである。その店は、新宿は歌舞伎町のドが付く程の真ん中に存在していた

 

 

ピークの時間帯になるとTさんは何処からともなく現れて、バーガーとドッグをチャップリンのごとく30、40、50個と作り上げていき、同時に、ホストの難癖を丁寧に斥け、痙攣し始めたキャバクラ嬢に救急車を呼んであげながら、常連のヤクザに笑顔で嫌味を言うという働きぶりで、ピークが終わると流れる様に控え室に舞い戻り、美味しそうに煙草を吸う、そんな人であった

 

 

加えて中型バイクで通勤するTさんは、たまに終電を乗り過ごしたアルバイトを2ケツで送って行くという面倒見のよい一面もある。

 

 

そんなTさんがある日、パソコンでのシフト作成に疲れ、目をしぱしぱさせながら煙草を吸っていた。私が、パソコンって目疲れますよね、と話を振ると、少し間を置いて「あたし色弱なんだよね」と言った。「色弱」をよく知らなかった私は、色弱って色の区別がつきにくいとかそんな感じですか、と訊ねるとTさんは「赤と緑の区別がつかない」と返した。驚いた私は、じゃあ信号とかどうするんですか、と更に聞くと「(光る)場所で見る」と答え、更に私を驚かせた。

 

 

 

上記のような場合、「信号」は本当に「ある」のだろうか?

 

 

「信号」と私の場合、青が光れば横断歩道を進み、黄に変われば急いで進むもしくは進まず、赤になれば次の青を待つという行動を概ね取る。つまり「信号」の光る色(青、黄、赤)によって、取る行動(進む、急いで進む進まない、待つ)を決定している。

 

 しかし「信号」とTさんの場合、「左」が光れば前に進み、「真中」に変われば急いで進むもしくは進まず、「右」が光れば次の「左」を待つという行動を取る。つまり「信号」の光る場所(左、真中、右)によって、取る行動(進む、急いで進む進まない、待つ)を決定している。

 

つまり私とTさんは解(取る行動)は同じだが、変数は値どころか、その種類(色or場所)ごと違うのである。この場合、私とTさんの間に置いて「信号」は本当に「ある」のだろうか?

 

 

私があくせく作っていたテリヤキバーガーは、Tさんにとってもテリヤキバーガーだったのだろうか?

 

 

もしかしたら「信号」は存在していないかもしれない。

 

 

只、私とTさんの取った行動から、「信号」は存在していなかったとしても、「信号システム(信号から情報を受け取る⇒行動に移す)」は「存在」している、と考えられる。

そのシステムの在り方を「物理的な存在」ではなく「機能的な存在」とでも呼ぼう。

 

私とTさんの間で「信号」を認識する(変数に置き換える)時、その方法は違うが、結果映す行動(導き出される解)は同じである。第三者から見ても、私もTさんも「信号」を待っていることには違いない。「信号」も間違いなく光っている。道路交通法上なんの問題もない。

 

 

そうなっている時に「物理的な存在」の価値は「機能的な存在」のそれよりも低くなっていると考えられる。光っているかどうか分からない信号機が間違いなく「存在」しているより、「存在」しているかどうか分からない信号機が間違いなく光っている方が道路交通はスムーズに行われるだろう。

 

 

ではロールケーキは「何的」に存在しているのだろうか。

 

 

「いや、お前どうした!?このロールケーキ、こうやって、手に取って、食べられるだろう?何的も何もないだろう!?食べろ食べろ!そんで寝ろ!!」

⇒ではロールケーキが触れられない食べられない場合はどうか?100m先、1km先、地球から太陽程遠くに存在してそうな場合どうやってそれを確認するのか。

 

 

「いや俺は存在してると思うよ、なぁ吉田」「そうよ、存在してるわよ。新井君も言ってやってよ」「君、安心したまえ、存在していることを僕が、この新井忠則が保証するよ」

⇒君たちの「存在」の定義はそれぞれ違う。仮に万が一、一致したとしても私のソレとは違うし、同じだとしても私は君たちを信じていない。

 

 

「よし…じゃあ存在してないとしたら、「コレ」は何かね!君が今見ているふっわふわ&クリーム、そうです、本日ローソンから新発売の「コレ」は何かね!!」

⇒「コレ」ってどぉれ?

 

 

 

[物理的な存在」の確証はなさそうだ。

 ロールケーキの「物理的な存在」の確証はない、がしかし同時に、私は今まで食べられなかった(口に入れ、咀嚼し、飲み込むことが出来なかった)と「感じた」ロールケーキに出会ったこともない。

 

   

 

私が「物理的」に「存在」しないかもしれないロールケーキを、本当に食べられたのかどうかはよく判らない(今自分が、ほとんど何を書いているのかわからない) 

 

 

只私にとって 疑いようのない「真実(私が感じた事)」は、その、食べた(かもしれない)ロールケーキは、大して美味しくなかった、ということだ。言うほどスポンジはふわっふわでもクリームが濃厚でも隠しフレーバーもない。そこらへんのロールケーキと何が違うんだ、スイスロールの方がコストパフォーマンス高いだろ、ということだ。

 

 

そしてこの内なる感覚は、永遠に完全に満足に言葉にすることができなそうだ。それは言葉の、語彙、使い方、抑揚、スピード、声色、リズムの量・種類の問題だけでなく、受け取り側の各人が持つそれらの定義の問題に拡散していく。

 

 

「このロールケーキすごい美味しいよ」「…そう…みたいね…」 

 

 

ということで、全ての言葉は「比喩」なのではないか。

 

 

少なくとも私は「ロールケーキの大して美味しくなさ」を言葉にし切れていないし伝えられていない=捉え切ることができていない。ロールケーキを前に途方に暮れている。少し泣いている。

 

 

つまり言葉は「それそのもの(自分が感じた諸感覚=真実)」を余す所なく表して(せて)いる訳ではない、

 

では言葉と「真実」の関係とは?

 

 

「真実」の「比喩」ではないか。

 

 

「比喩」は「真実」に対して直接的に向かわない、若しくは向かえない。必ず、迂回して、曲折して、時に反転して向かう。 

 

 そしてこの場合、Aは(おそらく!)比喩を意図していない。しかし、たとえ意図していなくてもしていたとしても、結果比喩的にしか機能しない。

 

 

 伝わる(A=同様の諸感覚を私に感じさせることが出来る)訳がない。

 

 

 

 

「ロールっていうのは、軽やかに、でも同時に重々しくって意味だ。羽のようなタッチだ。そして誰もが本気では知ろうとしないことだ。学ぶのが難しすぎるからな。ホント、ロールのためだけに大学行ってもいいくらいだと思うんだ」        

                                                      -あるギタリスト

 

 

 

では逆に、Aが私に「真実(自分=Aが感じた事)を伝えよう(嘘を吐かない)」という意思がない場合、何が伝える(A同様の諸感覚を私に感じさせる)ことが出来るだろうか。

 

 

 

Aは常に、「自分が感じた事を伝えよう」という意志がないので、嘘(感じてもいないこと)を吐く。「伝えよう」という意思はないが真実を言う、という行動は存在しない、と考えられる。

 

 

それは「よ~し、これから真実を言うぞ~!」という内心からだけでなく、真実を言う・言おうと試みる、という結果・態度からも、「伝えよう」という意思の有無は判断される(自分に)からである。-真実派

 

つまり「よ~し、これから嘘吐くぞ~!ヒヒヒ」という内心及び、嘘を吐く・吐こうと試みる、という結果・態度からも、「伝えよう」という意思がないということが判断される(自分に)。-嘘派

 

そして当たり前だが、真実派・嘘派両氏を外部から完全に見分けることは不可能である。人は(私は?)気づいたら勢いで嘘を吐いてたこともあるし、ポロッと真実を告げてしまうこともある。涙ながらに嘘を吐くことも、ヘヘラヘラと真実を話すこともある。そしてそのどちらもが前者は真実、後者は嘘と受け取られる可能性がある。

 

では仮に嘘派だと見分けることができたとしよう。

 

[Aは「このロールケーキが凄く美味しい」と言っているが、それは嘘で実は不味いと感じている]

 

とわかったとしよう。

 

そして私は「美味しい(不味い)」と感じ、且つそれを伝えようという意思が私にある場合、私の口からは「美味しい(不味い)」という言葉が発せられる。-a

 

逆に私は「美味しい(不味い)」と感じたが、それを伝える意思が私にない場合、私の口からは「不味い(美味しい)という言が発せられるーb

 

つまり[感じた]→[言葉]で示すと

 

aパターン[美味しい]→[美味しい]

bパターン[美味しい]→[不味い]

 

となる。

つまり、Aの発言の真実か嘘かを判断出来た私の発言を、Aは判断出来るのか、が問題になる。

 

要するに発言者(ここではA)が真実を伝えようという意思がない可能性がある場合、それを受け取る側(私)の理解力が必要になり、さらにその後発言する場合、その言葉を理解する能力(真実か嘘かを判断する力)が元・発言者(ここではA)にも必要になる。

 

つまり意思疎通のハードルが

 

<伝えようという意思なし> 

[発言者(A)の言葉]→[発言者(A)の真意(真実を言おうとしているのか、嘘か)]→ [受け取り側(私)の理解力]→[受け取り側(私)の言葉]→[受け取り側(私)の真意]→[発言者(A)の理解力]

 

となり、手間(腹の探り合い)が不必要に発生する(下記に比べ)。

 

<伝えようという意思あり>

[発言者(A)の言葉=真意]⇔(理解力不要)⇔[受け取り側の言葉=真意] 

 

 

 

 

 

以上から「このロールケーキが凄く美味しい」ことを伝えることは不可能に近い、が、確実に出来ることは、「このロールケーキが凄く美味しい」ことを「伝えようとすること」である。

 

例えば、Aが私にロールケーキの美味しさを伝える為だけに、毎週火曜日と木曜日に切々と私の自宅に現れ切々と自分のロールケーキ論を打つとか、フランスだかスイスだかどこかにロールケーキ職人になる為に修行に行くとか、修行先から毎週400字詰め原稿用紙30枚位の昨今のロールケーキ事情のレポートがFAXで届くとか、要するに相手が嫌になるくらい伝えよう伝えようとし続けることはできる。

 

しかしそれは概ね相手に迷惑である。迷惑防止条例違反である。ストーカー規制法違反である。

 

 

(つきまとい行為等の禁止)
第五条の二

 

何人も、正当な理由なく、専ら、特定の者に対するねたみ、恨みその他の悪意の感情を充足する目的で、当該特定の者又はその配偶者、直系若しくは同居の親族その他当該特定の者と社会生活において密接な関係を有する者に対し、不安を覚えさせるような行為であつて、次の各号のいずれかに掲げるもの(ストーカー行為等の規制等に関する法律(平成十二年法律第八十一号)第二条第一項に規定するつきまとい等及び同条第二項に規定するストーカー行為を除く。)を反復して行つてはならない。この場合において、第一号及び第二号に掲げる行為については、身体の安全、住居、勤務先、学校その他その通常所在する場所(以下この項において「住居等」という。)の平穏若しくは名誉が害され、又は行動の自由が著しく害される不安を覚えさせるような方法により行われる場合に限るものとする。

 

 

一 つきまとい、待ち伏せし、進路に立ちふさがり、住居等の付近において見張りをし、又は住居等に押し掛けること。
二 著しく粗野又は乱暴な言動をすること。
三 連続して電話をかけて何も告げず、又は拒まれたにもかかわらず、連続して、電話をかけ若しくはファクシミリ装置を用いて送信すること。
四 汚物、動物の死体その他の著しく不快又は嫌悪の情を催させるような物を送付し、又はその知り得る状態に置くこと。

 

つまり、迷惑はダメなのである。

 

 

 

という訳で、繰り返しを含むが「ロールケーキが凄く美味しい」ことを伝えるにはほとんど奇跡を起こすか、勘違いが起きるか、誤差を許容するしかなく、「ロールケーキが凄く美味しい」ことを激しく伝えようとすることは法律で制限されているのである。

 

 

 

 

 

 

 私はスポンジとクリームで奇跡と勘違いと誤差をひたすらロールしている。