シアターP の呟き(もしくは嘆き)

面倒くさい分析

私は、何故こんなにも、面倒臭いのか。

 

何故こんなにも、家から出たくないのか。毛布を頭から被っていたいのか。

 

こんなに面倒臭くて、将来的に大丈夫なのか定かではありませんが、私が面倒臭がりなのは定かです。

既に面倒臭いですが、「面倒臭い」はしばしば誤用されています。

 

例1)「○○しなさい」

 

こう誰かに言われた時、我々面倒臭がりは脊髄反射的に「面倒臭っ」と思ってしまう(時に言ってしまう)のですが、これははたして本当に面倒臭いのでしょうか。

「○○」をやったことがない場合を考えると、まず「○○」を体験したことがない(≒知らない)ので厳密には、面倒臭い、という感覚に推量が加わり「面倒臭そう」になります。

 

「面倒臭そう」な「○○」を行い、(やはり)「面倒臭かった」という感想を持ったとする。そしてあくる日、再び

 

「○○をしなさい」

 

と言われた場合初めて「面倒臭い」が強力に立ち上がってきます。

 

 

つまり「面倒くさそう」→「面倒臭かった」→「面倒くさい」

 

 

という順に生成され、一度立ち上がるとその腐敗臭(発酵臭、という説もある)は人間の精神性を殆ど根こそぎダメにする、と言われています。

 

この種の「面倒臭さ」を「体験的面倒臭さ」と勝手に名付けることとします。