シアターP の呟き(もしくは嘆き)

面倒くさい分析2

しかし「体験」していないことでも「面倒臭い」可能性があります。

 

それは、現在の状態を変えうる全ての可能性を排除したい、という感覚です。これは「○○」に対する価値判断は全くなされません。「価値判断がなされない」とは、やってみたら案外「面倒臭くなかった」という可能性があるなぁ、という迷いを丸ごと火山口に投げ込むことを意味します。

つまり「現状ではなくなる」という一点のみに注視しています。

 

これを「想像的面倒臭さ」と勝手に名付けます。

 

以上から「面倒臭さ」には「体験的」と「非体験的(=想像的)」なものがあると考えられます。

 

 

しかし、しかしです。

 

そもそもまず、「面倒臭い」という言葉はどのようにして発生してくるのでしょうか。具体的には、私は何故基本的に自宅から出たくないのでしょう、何故寝転がって自分の手の届くに飲み物とつまみを置きながら糞の役にも立たない本を永遠に読み続けたいのでしょうか。

 

「体験的面倒臭さ」の方はまず1つに、現状から行動A(体験的面倒臭さ、をもつ)に移らなければならない時、行動Aが未来永劫自分にとって何の利益ももたらさないであろうことが体験的に理解出来ていて、かつそれを強要される場合「マジ面倒臭せぇ」が立ち上ってきます。

 

例1)「今すぐにジャケットを着て、そして脱ぎなさい」

 

2つに、現状から行動B(体験的面倒臭さ、をもつ)に移らなければならない時、行動Bがある程度自分に利益をもたらすことは理解できているが、その利益が現状を維持する場合よりも低く見積もられる場合です。

 

例2)「今すぐにお風呂を洗いなさい(267回目)」