シアターP の呟き(もしくは嘆き)

「ありがとう」売り、「すみません」買い

「誰かといる時より、一人でいる時の方が、よく喋るんですよねー、私。」

 

というような奴は多分いない。

 

それは言葉が対他的なモノであるからである(ここでは深夜のマクドナルドで何かをボソボソと夜が明けるまで一人呟き続けるおばさんや、駐車場の猫に話し続けるおばあさんは無視する、ごめんね)。

 

それと同時に通常、人は、自分が発した言葉を自分でも聞いている。そこから、自分は自分が発した言葉からも影響を受けるのではないか、と予測出来る。

 

深夜のマクドナルドで何かをボソボソと夜が明けるまで一人呟き続けるおばさんが、自分の言葉にどのような影響を受けるのか、私には知る由も無い。マックの新しい社長にも、知る由も無い。

 

そして同時に、このような言説もある。

 

「あなたが発した言葉が、私を深く傷つけました。」

 

本人が言ってるのだから、おそらく深く傷ついたのであろうことが推測できる。まぁ、誰もかもを全く傷つけずに、何か言葉を発せられるのかどうかはさておき…。

 

しかしこの二つの仮定から以下の推論が導ける。

 

「私の発した言葉に、私は深く傷つくことがある。」

 

ただ、この上記推論を実際に発言する機会は永遠にないだろう(何処に向かって言うのかしら?)。「私の発した言葉に、私は深く傷ついたわ…」映画「タクシードライバー」の世界である。

 

そして 「すみません」 という言葉が存在する。

 

知らない人に話しかける時

許可を求める時

謝罪する時

 

別に極度に否定のニュアンスを帯びている訳ではないが、否定「形」ではある。ここから感覚的な私見に過ぎないのだが、やはり否定「形」ではあれ否定語を繰り返して使うのは、何となく精神衛生上良いものでは無い気がする。一日平均三回「すみません」を言っていたら、一年間で1095回である。

 

塵も積もればネガティブ思考、なんて思うのは私だけであろうか?

 

しかしまぁここから「譲り合い、おもてなしの精神」が生まれている、という事実も、おそらくはあるので悩ましいのだが…。

 

この推論に辿り着いた時から私はなるべく「ありがとう」という言葉を発するようにしている。

 

塵も積もればポジティブ思考&ポジティブフィードバック to the 精神 なんて考えるのは甘すぎるだろうか?

 

 

 

只一つ問題が残った。私は「ありがとう」を言うようになった。だが「ありがとう」を言われるような人間になれる日は……まだまだ遠い…。