シアターP の呟き(もしくは嘆き)

義務と自由と、うんこと権利4

もし仮に、「うんこを漏らす行為」を罰する法律や社会的な合意(法律、都道府県・市区町村の条例、裁判所判決etc)がある、(仮に「うんこ漏らし禁止法α」)としよう。

 

 

それは一体どういうことなのでしょうか。

 

 

1.まず、「うんこ漏らし」が社会や個人にとって害悪であるという認識が生まれ、広まる。

 

 

2.(市区町村・都道府県)議会で「うんこ漏らし」が議題に上がり、議論が深まったり、深まらなかったりする。

 

 

3.「うんこ漏らし禁止法α(仮)」が作られる。

 

 

4.議会が法律を通す際に多数決を採用していて、「うんこ漏らし禁止法α(仮)」が過半数(もしくは決められた定数以上)以上から支持を得た場合、「うんこ漏らし禁止法α」から”(仮)”が外され、概ね公布から20日(条例の場合は10日)を経過した日に施行される。

 

 

しかしまだ、「うんこ漏らし法α」の問題は終わらない。

 

それは「法解釈」と「法撤廃」、そして「法改正」である。

 

 

要するに、ある決断が正義にかなうものでありかつ責任ある/応答可能なものであるためには、その決断はそれ固有の瞬間において―このような瞬間があるとして―、規制されながらも同時に規制なしにあるのでなければならないし、掟を維持するけれども同時にそれを破壊したり宙吊りにするのでなければならない。

(中略)

すなわちそれは、現実に存在するコード化されたどんな規制をもってしても絶対的な保障を与えることができないし、あたえるべきことでもないような解釈である。(「法の力」p56 (著)ジャック・デリダ (訳)堅田 研一)

 

 

(例-1)かつて昭和XX年代において、「うんこ漏らし」は「社会悪」であったが、近代化に伴う個人の権利の拡大によって、「(「うんこ漏らしという」大して害悪のない)私的行為への国家の介入」という見識が広まり、平成YY年に「うんこ漏らし禁止法α」は撤廃された。

 

(例‐2)「うんこ漏らし禁止法α」の罪に問われた無職・男性(44)が、「自分は無職で3日間水以外何も食べておらず、私が漏らしたものはほとんど水便であり、他者に対する不快な臭いはほぼない。これは不当逮捕であり、権力乱用である。では何故「屁をこいた奴」が逮捕されないのか?」と疑義を呈した。

 


つまり、広い意味でのルールというものは、”ここ”に作り出せるものであり、その「生み出したもの」はおそらく”ここ”にあり、効力を及ぼすのだが、変更可能であるものであり、いつの日か消え失せうる可能性を常に秘めているのものなのではないか。

 

 

「うんこ漏らし禁止法α」は

 

「うんことは何か?」

「漏らすとは何か?」

「うんこ漏らしによる他者への被害はどの程度のものか?」

「禁止すべきものか?罰則は必要か?」

「「うんこ漏らし法α」は他のルールと整合できるか?」

「今の時代の規範意識と適合しているのか?」

 

を問うているのだ。